こんな形で引退するとは思わなかった、KO君のボクシング人生を振り返ります。
夢半ばで潰えたボクサーの人生です。
KO君は2022年引退しました。
本当は、まだまだ練習も試合もしたかったのですが、神経膠腫という脳腫瘍が見つかりもう2度とリングに上がる事ができない身体になりました。
この記事を読んでもらえれば、世の中には光を浴びるボクサーもいれば、夢破れるボクサーもいる事がわかると思います。
少し長い記事になりますが、高校時代から引退までの出来事をざっと書いているので興味のある人に読んでもらえたら嬉しいです。
高校時代
KO君のボクシング人生の始まりは、高校にボクシング部があったので「珍しいしやってみよう」と軽い気持ちで入部したのが始まりでした。
軽い気持ちで入ったのはいいものの、先輩は滅茶苦茶怖いし顧問の先生は更に怖いという地獄のような部活でした…
後々知ったのですが、KO君が入部する1~2年前にガチンコファイトクラブと言うTV番組が流行った影響で、ボクシング部に入部する人が凄く増えたのですが、顧問の先生がボクシング元オリンピック選手でとても厳しい人で卒業までには8割が辞める厳しい部活でした。
その厳しさのお陰もあってか、多くの学生チャンピオンがでる名門高校でした(世界チャンピオンも輩出しています)
中途半端に辞めるのが嫌な性格もあり、厳しい環境で真面目に練習に励んでいました。
そのおかげで運動神経もセンスないけど、根性だけはあったので強くなりたい一心で頑張って3年にはインターハイも国体も出れる実力にまで成長しました。
必死に頑張りましたが、全国大会はレベルが高くいい成績を残すことはできませんでしたが、遠征や合宿など仲間といい思い出もでき、なによりボクシングの魅力にどっぷり浸かった3年間でした。
大学時代
インターハイや国体に出場できたお陰で大学に推薦入学できる事となり更に4年間ボクシングに打ち込む事が出来ました。
大学のボクシング部は高校時代とは違って監督はとても優しく練習もかなり自由度の高い環境でした。
いい言い方をすれば伸び伸びと練習ができる環境で、悪い言い方をするとサボると自分の存在が消えてなくなるようなボクシング部でした。
大学にはリーグ戦という大きな大会があって大学で一番を争う試合が毎年ありました。
その大会のレギュラーに選ばれるために日々トレーニングをして頑張っていました。
幸いなことに1年~4年まで全てレギュラーで試合に出て3年には関西リーグで優勝する事も出来ました。
高校時代はただがむしゃらに先生に言われた事をやって強くなりましたが、
大学時代は自分のボクシングに自信を持たせてくれる指導方法の監督だったので、辛かったトレーニングより心から楽しくボクシングや大学生活が出来ていたお陰でいい結果が生まれたと今は思います。
苦しいトレーニングも大事ですが、大好きなボクシングを楽しんでやって自信をもってリングに上がるのが一番いい事だと学んだ4年間でした。
大学卒業後 新人王トーナメントまで
大学卒業後、すぐに地元のプロジムからプロデビューしました。
当時デビュー前思っていた事は「プロでどこまで通用するか知りたい…まぁ日本ランカーぐらい簡単になれるだろ」ぐらい簡単に考えていました…
現実プロの世界はそんな甘いものではありませんでした
プロテストは免除だったので、すぐにデビュー戦が決まりました。
デビュー戦の思い出は初めてのヘッドギアなし・8オンスでの試合。
緊張していない素振りを見せていましたが実際はかなり緊張していました。
相手はアマチュアにはいない頭から突っ込んでくるタイプでかなり苦戦しましたが何とか勝つことが出来ました。
デビュー戦1試合して翌年の新人王トーナメントに備えていました。
新人王が始まるまでは根拠もなく「新人王ぐらい楽勝で取れるやろ~」と謎に自信満々でした。
しかし、勝ち進めていくとどんどん相手も強くなるし、次の相手は強いんだろうな~という不安でいっぱいでした。
その不安を無くす為にも必死で練習に励んで、試合中にまぶたが切れたり、倒されそうになりながら何とか西軍代表まで登っていく事ができました。
東の新人王は強く全日本新人王まであと一歩のところで初黒星となってしまいました。
新人王予選の頃は「新人王なんて余裕」と思っていましたが、最後の決勝戦は余裕も自信も何一つない状態
今思うと、負けた理由は完全に『自信』と言う気持ちが切れていたのが問題でした。
練習もアマチュア時代では考えられないくらいやっていたし、その時は『絶対勝つ』気持ちでリングに上がったつもりでしたが、今思うと大学時代の様な自信満々の状態でリングに上がれておらず、気持ちの面が全然整っていませんでした。
たらればになりますが、大学時代のモチベーション・メンタルなら勝てていたんじゃないかなと思っています。
苦しみもありましたが、勝つ喜びや試合が次から次とあって楽しい面もありました
B級ボクサーからA級ボクサーになるまで
プロになった時は負けたら辞めるつもりでしたが、新人王決勝に負けたのが悔しくて続ける事となりました。
B級からA級ボクサーになるまで、ここが現役時代で一番苦しい時期でした。
アマチュアの経験もありボクシングの技術力には自信がありましたが、何故か体力に自信がつかなかい時期に突入して勝ったり負けたりのスランプの時期を迎えていました。
B級ボクサーは6R、A級ボクサーは8~12R戦うのですが、6~8R戦う体力が付かずに勝ったり負けたりを繰り返すようになりました。
実際は、体力が無かった訳ではなく体力の使い方が下手くそだっただけで、相手を追い込んだ時や連打を打つときに力が入ってしまう癖があったのが原因でした。
それを克服するために長いラウンドのスパーリングを繰り返す事で徐々にそれも解消され長いラウンドでも自信をもって戦う事が出来るようになりました。
最終的にA級の試合で負けて年齢の事もあり引退するか正社員をやりながらボクシングを続けるか迷う事となりました。
ボクシングだけでは食べていけない、、プロボクサーあるあるだと思います
日本ランカーになるまで
結局諦めきれずに会社員をしながらボクシングを続ける道を選びました。
心のどこかでまだやれる思ったからです。当時思っていたのが「サラリーマンしながら日本チャンピオンなったら世界チャンピオンぐらいの価値があるやろ」と勝手な妄想を膨らんませ目標にして頑張っていました。
現実はそんなに甘くなく、仕事は朝早くから夜遅くまであるし練習の休みも平日なので、ほとんど休み無く過ごしていました。
そんな苦しい生活でしたが、いい事もあって生活リズムが出来てきて朝走って・夜しっかり練習するルーティンが完成してボクシング自体も課題や疲れも把握できるようになり成長を感じました。
自己分析出来るようになったのだと思います
徐々に結果もついてきて日本ランカーに合計3回挑戦して3回目でやっと日本ランカーに勝つ事が出来ました。
その頃は、練習と私生活のルーティンが上手く回っていたお陰で勝つ事が出来たと思っています。
十何年やってきてやっと自分のボクシングが確立された感覚がありました。
自己管理・走る事の重要性に気付き始めました
日本タイトルマッチ
日本ランカーになってから、ジムのマッチメイクのお陰もあり、負ける事なく日本タイトルマッチ最強挑戦者決定戦で新人王以来の後楽園で試合ができる事になりました。
新人王の時とは違い気持ちも身体もしっかり仕上げて試合に挑みましたが、身体は過去1番の仕上がりでしたが、8RTKO負けしまいました。
それまでの負けた試合は「勝てたのになぁ」と思う事が多かったですが、この試合は実力で完全に負けたと今でも思っています。
この試合を終えて年齢の事もあったので現役続行・引退で悩んでいた時に奇跡的に1つ上の階級でタイトルマッチの話が舞い込み、即答でOKしました。
今までにないくらい一生懸命トレーニングし本気で勝つ気でリングに上がりましたが結果は7RTKO負けてしまいました。
初めての10R・タイトルマッチ色んな思いがあってここには書ききれないのですが、1番思う事はこんな貴重な経験をさせてくれたジム関係者にとても感謝しているということです。
挑戦者決定戦で負けたのにタイトルマッチ出来るなんてこんな幸運な事はないと思います。
復帰戦
タイトルマッチを終えて私生活でも色々思う事があったので、心機一転してもう一度日本チャンピオンに挑戦したいという気持ちが強くなりボクシングに集中できる会社に転職しました。
前の会社より勤務時間もきっちりしていて練習に打ち込む事が出来る環境だったので頑張ればまたタイトルマッチが出来る!今度は自分の力でタイトルマッチまでたどり着くと思って今まで以上にどうやったら強くなるか、上手くなるか、考えながらトレーニングに励んでいました。
復帰戦が決まりスパーリングもした事のある相手だったので、絶対勝って次に繋げるという思いでリングに上がりましたが、いざ相手と向き合うと足の動きが悪い・全て後手に回る・何処か緊張感が無い…とても不思議な感覚で試合をしていたら6Rにまぶたの腫れ過ぎによりTKO負けとなってしまいました
調整が上手くいかなかったのか、年齢的なものなのか、それはわかりませんが本調子がわからないまま終わったこの試合がKO君最後の試合となりました。
復帰戦後~引退まで
復帰戦で負けてしまった、内容もパットしなかった、3連敗、このまま引退するのは嫌だったので
①次の試合は必ず勝つ
②勝った後は名前のある選手と試合がしたい
この2つを目標に次負けたら引退という気持ちで毎日トレーニングしていました。
最後に負けた試合から1番ボクシングに向き合って、強くなろうなろうとしていたしその自信もありました
コロナ過の影響もあり最後の試合から3年近く経ったある日やっと試合が決まりました。
試合をするためには、3回連続KO負けしているので頭部CT検査が必要なため病院で検査を受け、結果を聞くと「もうボクシングはできませんね、、」でした。
「何を訳の分からない事を言ってるんだ??」と思いましたが、よく先生の話を聞くと脳腫瘍の疑いがあるとの事でした。
マンガとかでよく言う「頭が真っ白になりました」を初めて味わいました。
しばらく現実が受け止める事が出来ませんでしたが早死にするのは嫌なのでボクシングは諦めて治療に専念することにしました。
改めてMRI検査をしたらやはり神経膠腫という脳腫瘍があり手術が必要との事で、開頭手術をし脳腫瘍は取ってもらいました。
人造人間みたいな頭になり完全にボクシングが出来る身体ではなくなり引退となりました。
紆余曲折がありましたが、過去一番仕上がってる状態であっけなく現役生活終了となりました。
まさか最後の相手が脳腫瘍とは思いもしない相手でした。
チャンピオンになって恩返しできなかったのがなによりの心残りです。
補足:今のところ再発もなく元気に暮らしています!!(2022/5月現在)
まとめ
高校の部活から始めて20年、失敗して修正してを繰り返しながらボクシングを出来なくなるまでやってこれた事は誇りに思っています。
正直20年もボクシングをする事になるとは想像もしていませんでした。
アマチュアの時からプロボクサーになるつもりで、プロボクサーになって負けたらすぐ引退して普通にサラリーマンでもするのかなぁ〜ぐらいに思っていましたが、35歳まで夢持って一生懸命走ってこれた事は本当に良かったと思っています。
何よりも、ジムの関係者・いつも応援しに来てくれる人・家族には本当に支えられてここまでボクシングする事が出来ました。
感謝しかないです。
最後に勝てなかったのは悔やむところですし、
今までボクシングを軸に転職したり生活を変えたりしてきたのに、ボクシングという軸が無くなってしまってどう生きていけばいいのか、とても落ち込みました。
今思っている事は、選手としてのボクシングの軸はなくなりましたが、これからも今まで学んできたボクシング人生を軸に成長していこうと前向きな気持ちになったので、この記事を書くことにしました。
見てもらえる日が来ると信じて書き残します。
高校時代の恩師、大学の監督
いつも試合を支えでくれたトレーナー・会長
試合を見に来てくれた皆様
一緒に汗を流した同志
危険な競技を出来なくなるまでさせてくれた家族
全ての方に感謝しています。
長年の競技生活をさせて頂きありがとうございました。
このサイトやボクシングの指導を選手生活ぐらい長く続けれるように頑張ります!
最後まで読んで頂きありがとうございました。
KO君のボクシング教室
現役を引退して、ボクシングに少しでも興味を持ってほしい思いで、ボクシング教室を開催しています。興味のある人は参加してもらえたら嬉しいです。
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